日本国内で新型コロナウイルスが広がりを見せ始めたのが、2020年1月末ころからでしょうか。その影響から、人が同じ場所に集まる機会にて、適切な感染防止対策を行わないと、感染拡大を促す恐れがあり、長く人が直接対峙して集まることが行われない(行えない)期間が長く続きました。
現在では、適切な感染防止対策を施した上で、対面で実際に同じ会場に集まることは社会的に許されるようになってきています。しかし、人の意識はそれほど簡単に変わるものでもありません。
僕は以下のような複数の地域コミュニティの運営を行なっています。
- Gifu WordPress Meetup
- CoderDojo岐阜
前者は、WordPress という世界中で多くの方々に使われているホームページを管理するためのシステムに興味がある方々が集まる岐阜の地域コミュニティになります。
実際には、開催場所にアクセスできる人であれば、岐阜の人ではなくても参加できます。
後者は、子どもたちにプログラミングに取り組む機会を提供する CoderDojo という取り組みを行なっている地域コミュニティです。
それぞれ、コロナ禍になり一時は対面開催を断念し、オンラインでの活動を継続しながら活動を維持してきました。
しかし、社会も人もウイルスに関係なく時間と共に変化していきます。同じように、コミュニティに求められるものを多様に変化し、さらにコミュニティ運営に関わっている人自身も多様に変化をしていきます。
そういった時を経た変化を僕自身の肌で感じた上での所感をまとめてみたいと思います。
コロナ禍以前の地域コミュニティとは
コロナ禍以前にも、オンラインで人が集まり勉強会や様々な取り組みを行うという行事自体は存在しました。
しかし、それは「距離を補う」ために用いられていた方法であり、「人との接触を減らし感染を防止するため」ではありませんでした。
ですので、同じ「オンラインでの開催」であっても根底にある理由が、そもそも大きく変わってしまったと感じています。
コロナ禍以前は、対面イベントというのはまさに「人と人」が顔を合わせて声を交わすことができる行事でした。
僕がよく接することが多い界隈では、普段は SNS などを盛んに利用して情報交換を行なっていますが、そこはテキストや音声、画像、動画といった「デジタル情報」の交換が主となっています。
普段、その方法での情報交換を経て、限られた人間的な情報を交換できる場所として、対面イベントというものが存在しました。
SNS ではやり取りしたことがあったり、見かけたことがあった人を、実際直に目にしたり、言葉を交わしたりすることができる限られた機会でした。
今でもその目的自体は変わりませんが、その行動自体に感染リスクを追わなければならなくなった点が大きな変化と言えるでしょう。
それぞれで得られるもの、得られないもの
では、モニター越しではなく対面することで得られることって何があるのかな?と考えてみました。
対面することで得られることは、前述したように実際に顔を見て、声を聞いて、会話の間合いや空気感をその場で感じられることでしょう。
オンラインでの活動を経験した上で比較するととてもよく分かるかもしれませんが、画面越しに対面していたとしても、実際に対面したときと比べると、会話の間合いや相手の細かい仕草など得られる情報量に違いがあります。
逆に得られないもの。それは「物理的な距離を解決する恩恵」かなと思います。
オンラインで開催されるイベントは、上でも触れていますが、開催される時間にアクセスできる人であれば、アクセスする場所自体は関係ありません。
開催されるイベントが日本国内であろうが海外であろうが、そこにその時間にアクセスできるのであれば参加することができます。
しかし、物理的に存在する場所で開催される対面イベントでは、自分自身がそこに赴くことで参加することが可能となります。そして、上に書いているような体験を得られます。
オンラインで開催されるイベントというのは、逆に物理的なハードルをクリアにしてくれるという意味では強力なオプションを持っています。
しかし、現状としては(今後VR技術などの発展次第では改善される可能性もあると思う)生身の人間が対峙することで得られる情報や感覚をカバーすることは難しいという点が考えられます。
地域コミュニティでなくても良くなったこと
後にも触れますが、コロナ禍において物理的な場所にて開催されてきたコミュニティは、活動の主旨や方法などを考えさせられる期間となりました。それと同時に、活動規模が縮小しそれまでコミュニティを活用していた人たちも、活動を縮小する流れとなることが多かったでしょう。
では、その期間にコミュニティ活動において新しい動きがあったのでしょうか。
例えば、僕がよく情報収集している WordPress や Web 制作に関するコミュニティで言うと、プロダクトや目的ベースのコミュニティやサロンの立ち上がりが目立ちました。
プロダクトといえば、WordPress で言うとテーマやプラグインなどを指します。それらに関係する情報のやりとりを行うコミュニティが形成され、またオンラインを活用することで場所に関係なく参加できることが大きなメリットとして感じられる活動が目立ちます。
また、「副業」や「Web 制作」「独立」といった目的ベースでのコミュニティの立ち上がりも目立ちます。
しかし、その中には少なからず情報リテラシーの差を利用して不当な商材を販売する行為も散見され、一部健全とは言えないコミュニティやサロンなどもあると聞きます。
このように、物理的な会場にて催されてきた地域コミュニティの活動が縮小する代わりに、プロダクトや目的ベースのマイクロなコミュニティの活動が活発化してきていると感じます。
このように、より特定の目的に沿ったコミュニティが存在するようになりました。その結果、これまで存在していたコミュニティが担ってきた役割と重複する部分もあり、活動規模が縮小していたコミュニティにとっては、色々と考えさせられる部分も多くなっていると感じます。
これからの地域コミュニティに求められるもの
では、上記のようにマイクロなコミュニティが散見される状況の中で、これまで存在してきた地域コミュニティに求められる役割とは何があるのでしょうか。
これは、正直なところ「運営者の考え方による」部分が強くあります。ですので、答えというものは存在しないでしょう。
そのコミュニティに求めている・求められているものは何なのかを咀嚼して考え、活動をしていくという手法に変わりはありません。
「コミュニティ」であれば、個人的にはオンラインも活用していきながら、時流に合わせた開催を進めて活動を行うことが一番かなと考えています。
仮に感染が拡大しているのであれば、無理に対面イベントを行わず、オンライン開催のメリットを活用する方法を選択できますし、感染が落ち着いている状況であれば、対面開催のイベントを催すことも可能となります。
しかし「地域コミュニティ」として考えると、少々変わってきてしまう印象を持っています。なぜなら「地域」のために活動しているコミュニティだからです。
Gifu WordPress Meetup はまさにそうで、岐阜地域の WordPress ユーザーの集まりという趣旨があります。言い換えると、この岐阜という地域のユーザーのために活動しているのが Gifu WordPress Meetup であり、そのためのことが実現できないオンライン開催に意味はあるのだろうか、という考えも浮かんできます。
実際に感染状況に応じて、対面開催も挟みながら参加者のニーズや様子などを拝見していると、とても面白い考察ができます。
なぜなら、明確に「オンライン開催で参加する人」と「対面開催で参加する人」とが違うからです。重複している層はかなり薄いです。
言い換えると、オンラインで参加している人たちは対面では参加せず(できず)、対面で参加している人たちはオンラインでは参加せず、という形になっていることがわかります。
これは、オンラインで参加している人たちには対面開催は難しい理由(おそらく物理的な距離など)があり、対面開催で参加している人たちにはオンラインでの参加が難しい理由(オンラインに不慣れ・対面の良さがあるから参加しているなど)があるのだと思われます。
これは、どちらを優先するかどうか「参加する人」を見て判断するものではないかと思います。
その地域コミュニティがどうあるべきかと考え、その考えに沿った運営を進めた結果、そこに参加する人がいる。ただそれだけだと思います。ですので正解はないでしょう。僕自身、まだまだ答えを見出せてはいません。
まとめ
人間が人生において幸せを感じるためには、何かしら自分の好きなことを共通項としたコミュニティに属していると良い。
このような情報をどこかで見た記憶があります(出元が探せませんでした)。それは確かにあると思います。
自分の好きなことを、同じように好きだと感じている人と、様々な情報交換ができるという行為が、その人の幸福感を高めるということなので、まさに僕自身も体感してきたことです。
ですので、コミュニティ自体必要なものだと思います。そして、そういった活動を地域で行う「地域コミュニティ」も大切なものです。
その地域コミュニティがどうあるべきか、という点においてとても悩ましい時期を過ごしていますが、多くを考えながら多くの人に良いと思われる方法で運営していくことは、とても難しいことだなと改めて感じます。