発達障害は人類のヴァリエーションの一つ

2022年8月、我が家の子どもたちは夏休み期間である。しかし、このコロナ禍である。感染拡大が毎日のようにニュースで取り上げられており、外出・外食が気兼ねなくできるような環境でもない。

なので、事前に夏休み開始前に我が家では巨大なプールを用意しておいた。直径3メートル以上の円型のプールである。水量的には4,000Lほど入るようで、毎日のように水を入れ替えると水道局から連絡が来そう。

天気が良ければ毎日のようにプール三昧が日課になっていた。そして、僕は夏休み限定の本職、プール監視員として並走していたわけだが、何もせずにいるのも時間の無駄なので、子どもたちを横目に読書を進めることにした。

なお、足元はバケツを2つ用意して冷水に突っ込んだスタイルで読書である。

ニューロダイバーシティと発達障害

夏休みの課題図書みたいなものだが、こちらの本を読んだ。

「発達障害」という言葉は最近よく聞く言葉だ。特に、自分の子どもが就学年齢に近づいてくると、聞くことが増えてくる言葉ではないだろうか。

昔(僕たちが小学生の頃)は隠れ潜んでいた特性を持った子が多かったような記憶(近年と比べると)だが、近年では以前に比べると明確な判断をされることも多くなり、その存在も多様性の許容の中で平行して認められ始めているように感じる。

僕自身、仕事でもそうだが市民団体活動の中でも、さまざまな人と接することがある。その中でも特に CoderDojo 活動においては、さまざまな特徴を持った子どもたちが参加できる場所だ。

そういった場所を開いている側の大人として、やはり多様性や個性に関して最新の理解を持っておくことは、相手を知る・理解することに直結する。

また、そういった活動以外でも、さまざまな特性を持った人たちと関係することはこれまでもあったし、これからも当然あると考えられるので、可能な限りの情報を持っておくことは大切なことだと思い、読み進めることにした。

ニューロダイバーシティとは?

neuro とは「神経」を意味する接頭辞であり、diversity とは多様性を示す。つまり、脳神経系の多様性というような言葉になる。

多様性というのは、簡単に言うと「いろんな人を認め合おう」ということになると思う。そして、ニューロ(脳神経)の多様性ということであれば、いろんな脳神経的な特徴も認め合っていこう、というようなメッセージになるだろう。

そういった、さまざまな脳のヴァリエーションを認め合っていくことをメッセージとして持つ言葉が「ニューロダイバーシティ」であると言えると認識している。

発達障害は負なのだろうか

近年では、大人の発達障害などもメディアで取り上げられるほど世間一般の言葉として認識されつつある「発達障害」であるが、「障害」という単語が付いてしまうがため(?)に、どうしても「負」の印象ばかりが先行してしまうことが多い。

誤解を招きたくないが、「障害」を持つことを軽く考えているというつもりはない。先天的・後天的問わず、自ら望んで得ようとするものではないと思うので、そういう側面を理解しているが故にご理解いただきたい。

しかし、本書ではマイノリティがマジョリティの中で生きていく上で、過去からの考察も踏まえて重要な役割を果たしていると考えられる実例を紹介している。

特に以下のような歴史上有名な人物の特徴を例に紹介をしてくれている。

  • エジソン
  • アインシュタイン
  • レオナルド・ダ・ビンチ
  • アンデルセン
  • ベル

彼らの生前の記録から様々な個人的特徴を考察し、彼らの個性がどのように彼らの人生や人類に恩恵を生み出したのかを分かりやすく紹介してくれている。

人生、何があるかわからない

いつ何が起こるのか分からないのが人生である。分かったら準備もしておけるし心構えも可能なのだが、そんなことは(ドラえもんがいないから)できるわけがない。

年齢を問わず「発達障害」であるという診断を得た際には様々な感情が湧くことだろう。

それまでの苦労がやっと理解できた、という場合もあるだろうし、これからの未来に不安な気持ちになることもあるだろう。

しかし、それも人生で、それが唯一無二な自身の人生である。そして、程度や種類はさておき、発達障害が不自由な事柄をもたらすこともあれば、他人には得ることがない能力を発揮することができることもあるかもしれない。

僕は、人はそこそこに平等だと思っている。全て、とは言わないが。なので、どうしようもない何かを持っている人は、それに相反する何かしらを持っている可能性があると期待したいし、あながち間違っていないと信じている。

そういう考えをより一層強く持たせてくれる書籍だった。興味がある方は読んでみてほしい。