自分以外の誰かとコミュニティを形成するにあたっての学び

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いい年齢になっても学びがあることは嬉しいことだと思うことにしておく。

先日、このようなポストをXで見つけた。

WordPress つながりのいまむらさんのポスト

僕はつい先日まで、このポストに書かれているように「自分からコミュニティや組織に関わろうとして参加しているんだから、自分から能動的に動くなんて当たり前では?」と考えていた。

なぜなら自分がそうだからだ。

複数人の人の中に混ざって、自分の意図しない方向に物事が進むこと自体に苦痛を感じることが多い。確かに決定権を持つことは責任も多少発生すると考えれば、なんとなく風に吹かれるような形で集団意識に沿って動いていけば楽は楽だ。

けれど、自分がやりたくないことをやらなければならなくなったり、行きたくない場所に行かなくてはならなくなったりしたら、それはストレスにはならないのだろうか。そういった場面でも何かしら得ることはあるとは思う。しかし、自ら望んで望まない状況に行こうとは、どうしても僕は思えない。

だから、そこに存在すると自身の意思で決めたのであれば、何かしら気持ちがあってのことだと考えてしまった。これが間違いなのかもしれない。こういう人間の方が少数なのかもしれない。

なんの統計を取ったわけではないので感覚ではあるが、何かの組織に自らの意思で属しているからといって、属することが目的だったりする人もいるのかもしれない。そして、それほど少なくない人たちがそういうポジションを好むのかもしれない。

なので最近では、そういう人もいるんだろうと理解をするようになった。以前は属しているのであれば自分から行動するのが普通でしょ?と考えていたが、最近は考えないようにしている。やりたければやればいいし、やりたくないのであればやらなければよい。それでいいのではないかな。

しかし、属しているだけなのに、あたかも自分がやってます感を出している人を見ると、何も思わなくもないですが。